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東京高等裁判所 昭和50年(う)2273号 判決 1976年10月19日

被告人 渡部武夫

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は弁護人長井清水提出の控訴趣意書及び同補充申立と題する書面に記載されたとおりであるからここにこれを引用する。

控訴趣意第一点(原判示第一事実につき事実誤認の主張)について

所論は、被告人は、自動車運転免許証を亡失していたものであり、その再交付を申請し同免許証の再交付を受けたものであるのに、任意性のない疑いがある被告人の検察官に対する各供述調書を採用して、免許証を亡失した旨偽りを申出て再交付を受けたものと認定した原判決には、訴訟手続の法令違反があり、ひいて事実を誤認したものである、というのである。

しかし、原判決が挙示する関係証拠のうち、被告人の検察官に対する昭和四九年九月二四日付、同年一〇月一六日付各供述調書は、被告人が在宅のまま横浜区検察庁検察官副検事新井仁の取調べを受けたものであり、しかも、右各供述調書の供述内容は極めて自然であり(右一〇月一六日付調書で、再交付を受けた事情として、被告人は、昭和四八年四月一七日人身事故を起こし、同月二九日速度違反をしたため早晩運転免許の取消処分を受けるので、かつて能代市で同じ職場で働いていた田村一が運転免許取消処分前に紛失等を事由に免許証の再交付を受けて二通所持しておけば、取消処分後もなお一通残るから自動車の運転ができると話してくれたことがあるので、その方法をやろうと、紛失したと偽つて再交付の申請をして再交付を受けたものである旨供述する)、記録を調査しても担当検察官が強制、脅迫、誘導・誤導等違法・不当な取調べをしたとの事実は認められず、右各調書は任意性ないし信用性に欠けるところはない。これらを証拠に採用した原判決には所論の訴訟手続の法令違反ないし事実の誤認の違法は存しない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二、第三点(原判示第二事実につき法令の解釈適用の誤り、事実誤認の主張)について

所論は、秋田県公安委員会は、被告人に対する自動車運転免許取消処分について、昭和四八年七月一一日聴聞期日を開き聴聞を終了したとして同日免許取消処分にしたが、被告人は右聴聞期日の日以前の同年六月一二日、能代市の旧住所から神奈川県藤沢市川名六八〇番地沢内アパートに転居し、同日同市長に転入の届け出をしたのであり、かつ秋田県公安委員会の被告人に対する聴聞期日通知書は、そのころ旧住所地の家主が調査にきた警察官にこれを返戻し、被告人の新住所も告げているから、同委員会は免許取消処分の権限を失い、右処分の権限は道路交通法一〇三条三項により被告人の住所地を管轄する神奈川県公安委員会にすでに移転していたのである。しかるに、秋田県公安委員会は神奈川県公安委員会に処分移送通知書を送付することなく、何ら権限がないのに被告人に対し免許取消処分をしたものであるから、右処分は当然無効である。しかるに原判決は、秋田県公安委員会になお処分権限があるものとして、被告人に本件各無免許運転の事実を認定したのは、法令の解釈適用を誤つたか、事実を誤認したものであるというのである。

そこで検討するのに、記録及び原審で取調べた証拠並びに当審受命裁判官の証人竹内龍詰、同佐藤睦子、同三上サチ子の各尋問調書、当審で取調べた聴聞申立書、昭和四八年六月二七日付起案書、秋田県公安委員会告示第五七号告示書、聴聞調書の各謄本、司法警察員松淵光久作成の取消処分についての経緯報告書、東京高等検察庁検察官検事原弘の捜査事項照会書に対する警察庁交通局運転免許課長八島幸彦作成の各回答書、東北管区警察局公安部長青柳敏夫作成の回答書によると、被告人が、昭和四八年六月一二日能代市字出戸後四三番地の住所地から転出して、藤沢市川名六八〇番地沢内アパートに転入し、翌一三日同市長に対しその届出をしたこと、秋田県公安委員会は、被告人がさきに免許停止の処分を受けたのに、昭和四八年四月一七日安全運転義務違反、軽傷事故(八点)同月二九日速度違反(四五キロメートル超過、六点)の道路交通法違反行為をしたことによる累積点数一四点により運転免許の取消処分を行なうべく、同四八年七月二日右能代市の被告人の住所地に宛て郵便往復はがきにより、右行政処分につき聴聞期日(同月一一日)及び場所(秋田県公安委員会)の通知をするとともに、同公安委員会の掲示板にその旨掲示して公示をしたが、右はがきが返戻されない(被告人の旧住所地の家主が、そのころ調査にきた警察官に被告人の藤沢市の新住所を告げ、右聴聞期日通知書を返戻したという事実は認められない)ため、被処分者である被告人がこれを受領したものと推認し、また被告人から何らの返答もなく、右期日にも出頭しなかつたところから、該当事案につき意見等はないものと認め、期日に不参加したものとして、そのまま聴聞期日を開き聴聞手続を終了して同日運転免許の取消処分をなし、被告人の旧住所地の能代警察署長にその執行を指示した結果、同年一〇月一五日被告人が藤沢市に転居していることが判明し、その本籍市役所に照会して被告人の住所地を知り、右取消処分の執行を神奈川県公安委員会に依頼し、同四九年二月一九日右取消処分が執行され、被告人から任意に運転免許証が返納され、被告人は右処分に対し秋田県公安委員会に対し異議の申立もせず、また権利回復のための訴訟の提起ならびに権利保全手続もとつていないことが認められる。したがつて右聴聞手続及び取消処分が、被告人が神奈川県公安委員会の管轄区域内へその住所を変更した後になされたことは所論のとおりである。

そして、免許の取消処分は、その事由発生時における被処分者の住所地を管轄する公安委員会がこれを行なうことが原則であるから(道路交通法一〇三条二項)、当該公安委員会は聴聞を要しない事案又は聴聞を要する事案であつても聴聞の手続を終了している場合及び被処分者の所在不明の場合においては、なおその処分権限を有するものであるが、聴聞手続を終了しない間に被処分者が住所を変更した場合は、被処分者の利益のため例外として新住所地を管轄する公安委員会にすみやかに処分移送通知書を送付させ、同委員会において処分を行なわせることにし、右処分移送通知書を送付した公安委員会はその処分権限を失うものとした(同法一〇三条三、四項)のであつて、被処分者たる者の住居変更がありさえすれば、旧住所地を管轄する公安委員会が直ちに当然その処分権限を失うというものではないと解されるのであり、したがつて本件の場合、秋田県公安委員会の被告人に対する免許取消処分手続には聴聞手続に瑕疵があるけれども、これは資格を欠き権限のない公安委員会が処分をした場合とか処分対象者を誤つた場合などのような客観的に明白かつ重大な瑕疵に基づく無効事由の場合とは異なり、聴聞のための通知告示等は適正に行なわれていたのであつて、たまたま被告人が元の住所の能代市から神奈川県藤沢市へ転出し、運転免許証の住所変更手続をしており、本来なら秋田県公安委員会は被告人の転出先住所を知り得べきであるのに、従来の郵送による聴聞期日通知手続に頼つて手続を進めたことによつて瑕疵を生じたものであるが、手続の進め方自体には非違はなかつたのであり、また前記のように免許取消処分の執行を被告人の転出先住居地の神奈川県公安委員会に依頼して執行し、被告人から不服を訴えられることもなく運転免許証の返納を受けているのである。その際被告人に交付された運転免許取消処分通知書には、この処分があつたことを知つた日の翌日から起算して六〇日以内に秋田県公安委員会に対して異議の申立をすることができる旨記載され、被処分者である被告人に本件取消処分に対し不服申立をする機会が与えられていたのであつて、被告人から異論の申立がなされれば処分庁である秋田県公安委員会は直ちに被告人から不服の事情を聴取し、その処分手続を補正するための措置を講ずることができたわけであるが、被告人は前記のように右処分の執行にそのまま応じ、これに対し被告人から異議の申立もなされなかつたものである。(なお、自動車運転免許の取消処分は、道路交通法、同法施行令により、免許を取消すべき道路交通法違反の累積点数が明定せられ、聴聞期日における被処分者の意見、証拠の提出は当該事案の有無、態様等に限られるものであり、処分庁である公安委員会による裁量の余地は極めて少ないのであつて、本件の場合、かりに免許取消処分手続が神奈川県公安委員会に移送され、同委員会において聴聞が行なわれたとしても、その処分結果は秋田県公安委員会においてなした本件のそれと差異を生ずることはなく、秋田県公安委員会の本件聴聞期日通知手続における瑕疵が本件の処分結果に影響を及ぼすことはなかつたものと考えられる。)以上考察したところから明らかなように、本件免許取消処分の執行に際し及びその後、右処分について被告人から何らの不服・異議の申立もなされずに経過したことにより、秋田県公安委員会の被告人に対する右取消処分は有効に成立したものというべきである。したがつて、被告人に対する本件運転免許の取消処分は有効であり、右取消処分の執行の日である昭和四九年二月一九日以後の原判示第二の各無免許運転の成立を認めた原判決には、当審における事実取調の結果に徴しても事実の誤認、法令の解釈適用に誤りは存しない。論旨は理由がない。

控訴趣意第四点(量刑不当の主張)について

記録及び当審における事実取調の結果にあらわれた本件各犯行の罪質、動機、経緯、態様、被告人の性向、前科等を総合し、とりわけ自動車運転免許の取消処分を予想して偽りの申立により免許証の再交付を受け、取消処分後さきに交付をうけた免許証を携帯して自動車を運転していたこと、被告人には昭和四一年以来道路交通法違反の罪による罰金四回、業務上過失傷害罪による罰金二回のほか同四六年には累犯となる窃盗罪の懲役刑の前科があることなどにかんがみると、被告人の家庭の事情などの諸事情を参酌しても、原判決の量刑はやむを得ないもので、不当に重過ぎるとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 相澤正重 大前邦道 油田弘佑)

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